2013年11月13日水曜日

里に遊ぶ  №4
『八幡平・隠し平』
H25.10月13日  記  K.M
 この地は学生時代に3度来たが、その頃の私はただもくもくと歩き山を登った。当時はアプローチするにも道路も出来てなく、さらに八幡平からかくし平まで谷を、沢を渡りひたすらよじ登った記憶だけが残っている。先輩に「ここを登れ」と言われ這い上がって見れば、石が2~3並んでいた。
『南朝天皇の墓』と教えられたが、「ふーん。そおお」が私の感想だった。それから40数年後、今度はこの地に親しみを持って訪れた。亡き父との約束で花折塚に参おりするようになったからだ。
                
八幡平から明神の滝まではなんなく歩ける。5年前に来た時は小雨模様で山ヒルの大群に休憩も昼食時も立ったままで難儀をした。山道は細く曲がりくねり、登り降りありで、遠目では道など無きに等しい。しかし道を外すことはない。 歩きだして一時間半、巨大な岩に滑滝らしき流水が見えると、かくし平の入り口だ。そこから数分も沢を横切り登るとやっと着く。
 『三ノ公行宮』 だ。あたりはうす暗く寂しい。                                尊義親王は皇子お二人を伴われ、人里離れた          『八幡平行宮』からさらに山奥のこの地に潜まれた。  ご心境はいかばかりか?!??
 南無阿弥陀仏 どうか安らかに!!                      と、 お祈りするばかりだ。
(この後、私は馬ノ鞍峰へ)
三ノ公行宮に戻り、再度お線香をあげ又の                             約束をし、    下山。
                                

八幡平に戻り川原に降りてみると、一人
の御仁が川から上がってきた。栗広いに
来たと。そして川向こうを指さし あの堰堤の200m上に『八幡平行宮』があるよと教えてくれた。。尋ねもしないのに。よくここにくるの?とたずねると、盆にアユ釣り来ると。「ここまで鮎はのぼるの?」 と 聞くと、「来るよ」と。「そうですか」と返事し、私は川のなかへじゃぶじゃぶとはいった。40数年ぶりの渡渉だ。川の両側に古民家が残っている。
『八幡平行宮』だ。 この行宮も大きな木立に囲まれ、暗くさみしい!!  カメラにフラッシュが要る。 
自天皇が詠まれたうた 胸に浸み、冷たく熱い  ⇒⇒⇒         
                       
天空に月を思い心が痛く弾けそうだ!
今日は長いできそうにない。 そっと去った。
車を走らせたら、先の御仁に出会い、「送りますよ」「いえ体力のため、いいです」と断られた。一番近くの人家まで  (入之波温泉)でも二時間以上かかるだろうに、と思ったが、 それ以上言えなかった。川上村に                              『南朝最後の古戦場』があるが、今度の機会にと行きがけには思っていたのに、つい、すうーっと車をそこに止めてしまった。そこには、自天皇と忠義王の首を取り返して、載せた首石台がある。
尊義親王の皇子達だ。(この話は後日)  南無阿弥陀仏を唱え帰路についた。 後日、考えれば、疑問、不思議な思いで何度も考える。あそこに鮎は登らない、100年前なら?  暗くなるまで栗広いに行くか?    八幡平行宮に行きたいと何故分かったの?     何故?首石台に寄ったの?   
あの、御仁は何処から来て、何処へ帰ったの??  いったい彼は何者でしょう????!                              
 

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