『奈良・平城京』 西大寺 秋篠寺 天皇御陵廻り 法華寺 H. 27 8月 K.M 記
西ノ京北部の「西大寺」をまず訪ね、北の「秋篠寺」へ足を運ぶ。東に向かい「天皇・皇后陵」を廻り大極殿北を通過し「法華寺」「不退寺」そして「多聞城」「轉害門」奈良公園までを歩く。
東門より入場。
四月第二日曜日の「大茶盛」は有名だ。 口径40cmの大茶碗で大勢の人々と楽しむ行事
真言宗総本山「西大寺」は765年「称徳天皇」の勅願により創建。
本堂内陣には「釈迦如来立像」が安置されている。
すぐ横の愛染堂には秘仏
「愛染明王」が厨子の中に
安置される。
憤怒の朱赤の形は怒っているのではなく、深い愛情の現れである。
境内の大きな松の木には毎年4月に「この葉ずく」が来て子育てをする。
北へ歩き、「秋篠寺」に着く。
いつ訪れても見事な「苔」の庭園が広がりホッとする空間だ。
一息つける休憩所から見える本堂には本尊「薬師如来」が又人気の高い「伎芸天」を安置。技芸天は顔立ちが柔和で優雅な姿。
左は「神功天皇」御陵
右は「垂仁天皇・皇后・日葉酢媛命」の御陵。
そして、「成務天皇」「称徳天皇」などの御陵が狭い範囲に続く。
そして漸く「大極殿」の北、佐紀路に。
そこには「隆光大僧正」のお墓がある。
大極殿を望めば遠く「朱雀門」が見通せる。
佐紀路には初めて見るが馴染みの名前の神社が色々ある。
左図ようにこちらにもたくさんの御陵があり、中でも「嫉妬心」が強いと評判だった「磐之媛命」の御陵が一段と立派だ。
「宇和奈辺」「小奈辺」陵墓を過ぎ航空自衛隊幹部学校も過ぎ。
「海龍王寺」に辿り着く。 長い歴史を刻んだ築地塀と山門に何か痛ましさを感じる。「光明皇后」が建立される。
「西金堂」は奈良時代の建築で中に国宝
「五重小塔」が置かれている。
海外に出かける時には今も参拝する人が絶えないとか。
「総国分尼寺」「法華寺」に到着。
不比等の邸宅を娘「光明皇后」が寄進して建立したためか貴族的な優雅さが感じられる。
当時は大伽藍だったが、衰退。
現代の本堂、鐘楼、南門は、かの「淀君」が寄進したもの。
国宝「十一面観音菩薩像」は「光明皇后」のお姿を模して刻んだ伝承を持ち、木肌の美しさを生かした素地仕上げとなっている。
光明皇后は庶民のために福祉を施され施薬院やから風呂などを造られた。
ぬば玉の黒髪をおろし仏弟子となった横笛の像があり、滝口入道との恋文を溶かしての自画像。悲恋物語を思い出す。
最後の「不退寺」に辿り着く。
「仁明天皇」の勅願により「在原業平朝臣」の建立になる。
不退寺は「不退転法輪寺」と号し、略して不退寺と呼ぶ。
「平城天皇」御譲位の後、阿保親王」、「在原業平」と続く。
東、東へとひたすら歩き、平城京主役「聖武天皇」の御陵に着く。
さすがに立派だ。すぐ近くには
「光明皇后」の御陵もあった。
いよいよ最終目的地「多聞城」を
目指して東へ進む。
この橋を渡ればすぐだ。
行く手前は中学校? 何処だ?
生徒に聞けば、この中にあると。
前にはきつくて長い階段が続く。
そう、この階段の横に「立看板」が「多聞城跡」と書いてある。
戦国武将「松永弾正久秀」が築いた、かの「信長」でさえ羨ましがった城跡だ。(跡形もなし)
この地は京街道、奈良坂に近く、
奈良の街をも見下ろせる高台に位置し、絶好の場所なのだ。
そして、さらに東へ足を運び、「轉害門」に。そして南に暫く歩くと奈良公園に到着した。奈良公園では今日も大勢の観光客が行きかっている。やはり鹿と遊ぶ姿が微笑ましい。
今日は、真夏の炎天下、とても暑く汗びっしょり、少々きつかった。無事完歩である。
2015年8月30日日曜日
2015年8月26日水曜日
奈良・平城京中心部から平城京一周巡り № 2
『奈良・平城京』 興福寺 奈良まち 元興寺 H. 27 8月 K.M 記
藤原鎌足の病気平癒祈願のため「山階寺」を建て、飛鳥「厩坂寺」に移転。平城遷都に際し、現在の左京三条七坊に藤原不比等が伽藍を備えて「興福寺」と寺名を改めた。
高畑駐車場より、まず「浮見堂」へ足を運びとても音色のいい「洞水門」に寄る。(水琴窟)
右手に「飛び火野」を見、「興福寺・宝物館」へ。
特筆すべきは「薬師如来仏頭」と「八部衆立像」だ。
取り分け、「阿修羅像」は小顔で少年の如く若々しく正面の顔は眉をひそめ目的に向かう意思を感じる。
白鳳時代の傑作と言われる「薬師如来仏頭」は興福寺僧兵が飛鳥の「山田寺」から奪ったもので、室町時代に落雷で焼け頭部だけが現存している「猿沢池」に優雅な姿を映す「五重塔」は「古の都・奈良」の象徴であり、「東金堂」は繊細優美な印象を受ける。興福寺が「貴族仏教」を背景にしているからだ。
「北円堂」は彌勒仏坐像・四天王像」を安置し、お堂と共に国宝である。
「南円堂」は参拝客が多く、庶民的。
堂内には木造不空羂索観音坐像・木造四天王立像」を安置しいずれも国宝である。
「猿沢池」を巡り、「奈良まち」散策。
綺麗な、かわいい物、お店がいっぱい。
「からくり・おもちゃ館」では、小僧の鐘突き、ロープの引っ張りっこ、智恵の輪、ヒモ、等様々な遊び道具などがあり、大人も子供も大賑わいだ。
しかし、奈良まちという行政上の地名は ない。
奈良まちらしい家並は、庚申堂、ならまち格子の家の周辺。
さらに、小道具や看板、ありとあらゆる物を展示する館もあり、全て見学無料である。
「海山里」の珍味各七種類・七色
の各種材料が使用された七枚の大皿に盛り上げられ、庚申さんに参拝された善男善女を接待。
1m70cmの大皿には約100人前の料理が盛り揚げられる。
この館のみに30枚の大皿保存。
最終目的地「元興寺」に到着。
「元興寺」は現在の奈良まちほぼ全域を含む広大な寺域を有し、「南都七大寺」に数えられて隆盛を極めたが、平安後期から次第に衰退。今に残る「極楽坊」は鎌倉時代に僧房を改築したもの。
「本堂・講堂」の丸瓦は日本最古の瓦で珍しい行基葺きで有名。
国宝の五重小塔や仏像を収蔵庫に保存展示している。
庶民の信仰も集め、多数の石仏がならんでいる。
今日の散策は非常に盛りだくさんで、古い中にも目新しいもの、がいっぱい。先人の知恵と徳そして新旧の共存と伝統を守りつづける大切さ等たくさん学んだ。
智恵も授かり、楽しく遊ぶ術も学べ、『温故知新』を悟ったような気分。感謝感謝である。
藤原鎌足の病気平癒祈願のため「山階寺」を建て、飛鳥「厩坂寺」に移転。平城遷都に際し、現在の左京三条七坊に藤原不比等が伽藍を備えて「興福寺」と寺名を改めた。
高畑駐車場より、まず「浮見堂」へ足を運びとても音色のいい「洞水門」に寄る。(水琴窟)
右手に「飛び火野」を見、「興福寺・宝物館」へ。
特筆すべきは「薬師如来仏頭」と「八部衆立像」だ。
取り分け、「阿修羅像」は小顔で少年の如く若々しく正面の顔は眉をひそめ目的に向かう意思を感じる。
白鳳時代の傑作と言われる「薬師如来仏頭」は興福寺僧兵が飛鳥の「山田寺」から奪ったもので、室町時代に落雷で焼け頭部だけが現存している「猿沢池」に優雅な姿を映す「五重塔」は「古の都・奈良」の象徴であり、「東金堂」は繊細優美な印象を受ける。興福寺が「貴族仏教」を背景にしているからだ。
「北円堂」は彌勒仏坐像・四天王像」を安置し、お堂と共に国宝である。
「南円堂」は参拝客が多く、庶民的。
堂内には木造不空羂索観音坐像・木造四天王立像」を安置しいずれも国宝である。
「猿沢池」を巡り、「奈良まち」散策。
綺麗な、かわいい物、お店がいっぱい。
「からくり・おもちゃ館」では、小僧の鐘突き、ロープの引っ張りっこ、智恵の輪、ヒモ、等様々な遊び道具などがあり、大人も子供も大賑わいだ。
しかし、奈良まちという行政上の地名は ない。
奈良まちらしい家並は、庚申堂、ならまち格子の家の周辺。
さらに、小道具や看板、ありとあらゆる物を展示する館もあり、全て見学無料である。
「海山里」の珍味各七種類・七色
の各種材料が使用された七枚の大皿に盛り上げられ、庚申さんに参拝された善男善女を接待。
1m70cmの大皿には約100人前の料理が盛り揚げられる。
この館のみに30枚の大皿保存。
最終目的地「元興寺」に到着。
「元興寺」は現在の奈良まちほぼ全域を含む広大な寺域を有し、「南都七大寺」に数えられて隆盛を極めたが、平安後期から次第に衰退。今に残る「極楽坊」は鎌倉時代に僧房を改築したもの。
「本堂・講堂」の丸瓦は日本最古の瓦で珍しい行基葺きで有名。
国宝の五重小塔や仏像を収蔵庫に保存展示している。
庶民の信仰も集め、多数の石仏がならんでいる。
今日の散策は非常に盛りだくさんで、古い中にも目新しいもの、がいっぱい。先人の知恵と徳そして新旧の共存と伝統を守りつづける大切さ等たくさん学んだ。
智恵も授かり、楽しく遊ぶ術も学べ、『温故知新』を悟ったような気分。感謝感謝である。
2015年8月18日火曜日
奈良・平城京中心部から平城京一周巡り № 1
『奈良・平城京』 東大寺周辺、依水園、春日大社 H.27 8月K.M 記
飛鳥京より山の辺の道を歩きいよいよ奈良・平城京に辿りついた。今回は平城京中心部を巡る。
和銅3年、710年3月10日元明天皇の時、平城京に遷都された。
まず、現代の迎賓館、「羅城門」そして「朱雀門」、さらに「大極殿」に連なる。
羅城門は都の入り口、九条に壮大な迎賓館、現在はその「碑」が建ち発掘調査が行われている。 右図の中央下〇印の部分にあたる。
現、佐保川をまたぐように造営された。
左が「朱雀門」
右が「大極殿」
朱雀門から大極殿までの距離は気が遠くなるほど遠い。
たくさんの建物が並んでいたに違いない。
その後聖武天皇になり国家の平穏を願い、国分寺総本山として「東大寺・大仏」が建造された。
南大門には「大華厳宗」の扁額が掲げられ人心を集めた。
この頃疫病がはやり、光明皇后は「法華寺」や施薬院など福祉にも力を注がれた。又、この頃には「鑑真和上」も苦難を
排して来日を果たされた。
大仏さまは現代でもたくさんの人々に愛
され、海外からも大勢の観光客が訪れる。
大仏さまの鼻の穴の大きさの柱くぐりは今も子供達だけでなく大人にも大人気だ。
続いて右上に登り立派な「鐘楼」へ。
この釣鐘は今までに地震などで4度も下に落ちたので、補強のためにワイヤーでも吊り上げている。
さらに上に登り「二月堂」へ足を運ぶ。
3月の「修二会」お水取りはあまりにも有名だ。 8m(普段は6m)の大松明は
圧巻、火の粉が一面に飛び散る。
最後に「若狭の井」よりお香水を汲みあげる。 (右⇒⇒)
第一回目のお水取りは「笠置正月堂」で
行われ、二回目よりここ「二月堂」で執り行われ、現代まで途切れた事はない。
東大寺を後にし「氷室神社」へ向かう。
氷室神社では夏らしく「白雪祭」が行われており、私も一つ奉納し後程、それを頂く。
氷室神社は芸の神様でもあり、元林院の芸子「菊乃」さんが舞を奉納。花街の灯りを灯し続ける。
舞はH19年春、神社前のしだれ桜が見事に咲きだした頃だった。
そして奈良の名庭園「依水園」へ
依水園は江戸時代作の前園と明治時代作の後園の二つからなる庭園でS.50年国の文化財として名勝に指定。 前園は若草、御蓋、高円山を一望した三秀亭前の池庭で風情あり。
後園は氷心亭前からの東大寺南大門と春日山を借景したスケールの大きな眺めが圧巻だ。
右側は柳生家全盛期の芳徳寺から移築。左の茅葺きの建物は「氷心亭」。
園内を流れる小川にはシジミがたくさん見える。
依水園を出て、
戒壇院へ向かう。
途中、奈良を愛し、奈良の全てを撮り続けた入江泰吉先生の旧居があり、講習を今もなさってる。
「戒壇院」754年聖武上皇は光明皇太后らと共に唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年正式な受戒の場とし戒壇院を建立。国宝「四天王立像」を安置。
そして京街道に面す「轉害門」へ
もと平城京左京一条大路に西面して建立され、佐保路門とも呼ばれた。中世の修理を受けているが、東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構で雄大な姿は創建当時を思わせる。
三間一戸八脚門、切妻造本瓦葺である。
そして奈良公園へと戻る。
奈良公園では神鹿として誰からも愛され可愛がられるたくさんの鹿が遊んでいる。最近では交通事故にあってしまう鹿やまれには乱暴者にいじめられたりもするらしい。右の写真のように優しくせんべいを上げて貰えれば鹿も見ている皆も倖せな気持ちになる。 私も買ってこよう!!
綺麗でかわいいお嬢さんありがとう!!!
飛鳥京より山の辺の道を歩きいよいよ奈良・平城京に辿りついた。今回は平城京中心部を巡る。
和銅3年、710年3月10日元明天皇の時、平城京に遷都された。
まず、現代の迎賓館、「羅城門」そして「朱雀門」、さらに「大極殿」に連なる。
羅城門は都の入り口、九条に壮大な迎賓館、現在はその「碑」が建ち発掘調査が行われている。 右図の中央下〇印の部分にあたる。
現、佐保川をまたぐように造営された。
左が「朱雀門」
右が「大極殿」
朱雀門から大極殿までの距離は気が遠くなるほど遠い。
たくさんの建物が並んでいたに違いない。
その後聖武天皇になり国家の平穏を願い、国分寺総本山として「東大寺・大仏」が建造された。
南大門には「大華厳宗」の扁額が掲げられ人心を集めた。
この頃疫病がはやり、光明皇后は「法華寺」や施薬院など福祉にも力を注がれた。又、この頃には「鑑真和上」も苦難を
排して来日を果たされた。
大仏さまは現代でもたくさんの人々に愛
され、海外からも大勢の観光客が訪れる。
大仏さまの鼻の穴の大きさの柱くぐりは今も子供達だけでなく大人にも大人気だ。
続いて右上に登り立派な「鐘楼」へ。
この釣鐘は今までに地震などで4度も下に落ちたので、補強のためにワイヤーでも吊り上げている。
さらに上に登り「二月堂」へ足を運ぶ。
3月の「修二会」お水取りはあまりにも有名だ。 8m(普段は6m)の大松明は
圧巻、火の粉が一面に飛び散る。
最後に「若狭の井」よりお香水を汲みあげる。 (右⇒⇒)
第一回目のお水取りは「笠置正月堂」で
行われ、二回目よりここ「二月堂」で執り行われ、現代まで途切れた事はない。
東大寺を後にし「氷室神社」へ向かう。
氷室神社では夏らしく「白雪祭」が行われており、私も一つ奉納し後程、それを頂く。
氷室神社は芸の神様でもあり、元林院の芸子「菊乃」さんが舞を奉納。花街の灯りを灯し続ける。
舞はH19年春、神社前のしだれ桜が見事に咲きだした頃だった。
そして奈良の名庭園「依水園」へ
依水園は江戸時代作の前園と明治時代作の後園の二つからなる庭園でS.50年国の文化財として名勝に指定。 前園は若草、御蓋、高円山を一望した三秀亭前の池庭で風情あり。
後園は氷心亭前からの東大寺南大門と春日山を借景したスケールの大きな眺めが圧巻だ。
右側は柳生家全盛期の芳徳寺から移築。左の茅葺きの建物は「氷心亭」。
園内を流れる小川にはシジミがたくさん見える。
依水園を出て、
戒壇院へ向かう。
途中、奈良を愛し、奈良の全てを撮り続けた入江泰吉先生の旧居があり、講習を今もなさってる。
「戒壇院」754年聖武上皇は光明皇太后らと共に唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年正式な受戒の場とし戒壇院を建立。国宝「四天王立像」を安置。
そして京街道に面す「轉害門」へ
もと平城京左京一条大路に西面して建立され、佐保路門とも呼ばれた。中世の修理を受けているが、東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構で雄大な姿は創建当時を思わせる。
三間一戸八脚門、切妻造本瓦葺である。
そして奈良公園へと戻る。
奈良公園では神鹿として誰からも愛され可愛がられるたくさんの鹿が遊んでいる。最近では交通事故にあってしまう鹿やまれには乱暴者にいじめられたりもするらしい。右の写真のように優しくせんべいを上げて貰えれば鹿も見ている皆も倖せな気持ちになる。 私も買ってこよう!!
綺麗でかわいいお嬢さんありがとう!!!
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