2018年3月15日木曜日

熊野古道・伊勢路巡り9回目

『波田須の道から大吹峠』
H.30 3月10日(土) 晴れ
今回は新鹿海岸から波田須の「徐福の宮」を訪ね、大吹峠を通り大泊へと歩くコースです。
波田須の道には鎌倉期の立派な石畳が残っており、海と山の間に棚田や民家が点在する「伝説と神話の里」で数々の史跡がある。「大吹峠」の道は距離は短いが緩やかな道が続き情緒があり、、又古道の中では珍しい竹林の景観も楽しめました。
車窓からの新鹿の里

海岸での昼食後、浜辺でこんな綺麗な貝殻を見つけた方が。

浜の上空にはいつものようにトンビがたくさん輪を描いている。 食事休憩も終わり、用も済ませ、
語り部さんの指揮のもと、皆で準備体操をする。

再度バスに乗車し、歩き出す地点へ向かう。

12:40 バス降車し出発。
いよいよ古道歩きが始まり、語り
部さんの案内説明を聞く。

古道はなだらかな登りで石畳も綺麗で歩きよい。

大きな石が順々に並べ階段状になってドンドン登る。

いよいよ波田須の道に入り「はだす」の名前の由来?

「秦の人」(徐福一行)が住んだ所。
秦は「はた」と読む。
はたの人が住む」から「はたす」そして「はだす」
となりそして『波田須』。

石畳が鎌倉期から江戸期に変わる所が左の写真。石畳の置き方がよく見ると変わっている。

石畳の感触を楽しみ、伊勢神宮所有の棚田を見、イノシシの荒らした山畑を見ながら暫く歩くと見晴らし台に到着。


熊野灘の眺望が天候も良く素晴らしい!



下山途中に「波田須神社」へお参りして、下の車道に出る。

『徐福の宮』へさらに下る。

目の前に楠の木の大木が茂る小さな丸山が見える。

秦の始皇帝の命を受け、
不老不死の妙薬を求めてこの地に流れ着いた「徐福」を祀っている。

時代は縄文時代から弥生時代の始め頃か?

徐福の死去はBC208。徐福の子孫は現存。

徐福の宮へ階段を登り参拝。

周りを巡ると狭い地に楠や名前知らずの巨木がお互いに巻き付きすごい事になっていてその傍らにおもあった。

「徐福伝説」の地は全国で29ヶ所もあるとか?

秦の国を出た大船団(4000人もの青年男女、高度な生活技術者達)は東シナ海に出、季節風により南向きに進み黒潮か対馬海流に乗れば、日本海沿岸か太平洋沿岸の何処かにたどりきます。 大船団は同一行動はとれず、日本各地に漂着したか?


波田須から大吹峠に向かう。

途中には「おたけ茶屋」があり、押し寿司やお茶が置いてあり、昭和の始めまで営業していた。

段々畑の横を登りつめると車道に出、立派な休憩所に着く。

ここは釣りの帰りに度々寄る所でお馴染みの場所だ。

休憩所の奥から再度登り始める。





こんな木彫りの地蔵さん?








緩やかな登りで軽やかに歩ける。

石畳が見事だ。

14:40 大吹峠着。

長い猪垣を過ぎると峠に着いた。

峠で語り部さんのお話を聞きながら休憩。



下り道もなだらかで歩き良い。

途中竹林を抜けるが、元はかなりの竹が生えていたと思われるが、語り部さんは明るくなって歩きやすいと説明されていた。

しかし、私には植生が変わるほどの伐採では??と思った。

どんどん下り、ついに山から抜け出した。
振り返ると、越えてきた大吹峠は木々や山の向こう。

15:24
大泊の海岸前に無事下山する

大泊の砂浜や岸壁の向こうに
「鬼が城」が見える。