2015年9月16日水曜日

奈良・平城京中心部から平城京一周廻り  № 4


今日は平城京の西、西ノ京から南、東に進路を取り「南都周遊」を目指す。 H.27 8月 K.M 記


先ず、「唐招提寺・金堂」天平時代を代表する端正な建築、ゆるやかな屋根、エンタシスの柱が特徴。 本尊「盧舎那仏坐像」
                  ⇒
「講堂」は現存する唯一の天平宮殿建築で国宝だ。(右)

開祖「鑑真和上」が唐から苦難
に耐えて渡来した経緯は井上靖の「天平の甍」で広く知られる。
  『若葉して
  御目の雫拭ばや』(ぬぐは)
松尾芭蕉の句碑も立つ。

鑑真和上の故郷の名花「けい
」(5月5日撮影)   御廟⇒

「薬師寺・金堂」にやって来た。
朱と緑の鮮やかな二重二閣の裳階をつけた華やかな龍宮造り。
本尊「薬師如来坐像」と「日光、月光菩薩」を「薬師三尊像」と呼び白鳳彫刻の傑作。国宝。

大講堂は正面41m、奥行20m
高さ17m、伽藍最大の建物。
これは南都仏教が教学を重んじ大勢の学僧が参集し経典を講讚したため。

「西塔」S.56.4月、453年ぶりに復興。(フェノロサ絶賛の凍れる音楽「東塔」は工事中)
寺子屋開催中で鐘楼前で「般若心経」を皆で唱える。

「大安寺」山門に到着。

「聖徳太子」御遺言により「舒明天皇」が「百済大寺」を我が国最初の「官寺」として建立された。「高市大寺」さらに「大官大寺」となり、平城遷都に伴い今日の地に移され、「大安寺」となる。

庶民に愛されるお寺か色々な楽しい小道具がいっぱいだ。   右はゆらり椅子がたくさん。奈良時代には887人の学僧を擁し、仏教の総合大学の様相を呈した名残りであろうか!?
最澄、空海、菅原道真も学ぶ。


そして、我々WVの大恩人である
『H.正吉』先生の遺骨もこの「大安寺」で良き友人『清晃大和尚』と共に静かに眠られている。

「元石清水八幡宮」である。          この神社まるごと元は「大安寺」境内内であり、東塔、西塔はさらにこの神社の南に建っていた。

東に進み「白毫寺」到着。

長い階段の左右にが。

汗を拭き、本堂まで登ると高円山からの涼しい風が吹き抜けありがたい。

極楽浄土のほとけ「阿弥陀如来」を本尊に「地蔵菩薩」「閻魔大王」とその一族など収蔵。

樹齢450年の五色椿は有名である。
「白毫」とは仏の眉間にあり光明を放つという白く細い渦巻状の毛のこと。

「新薬師寺」は「聖武天皇」の病気平癒を祈願して「光明皇后」によって創建。

本堂には「薬師如来坐像」十二神将(塑像)が周りを護衛している。神将には元は彩色されており、今も部分的に色が残る。
それを最新技術でごく彩色にすると右のようになる。

「新薬師寺」を後にし、高畑界隈を通り、「志賀直哉・旧居」を過ぎ奈良公園に再度戻ってきた。

奈良公園では優しい浴衣のお姉さんに鹿もご満悦「ごっつぁん」

これで4回、奈良・平城京を散策し、全ては無理としても、主要な地は訪れた。夏の暑い中元気に歩き廻れた『天の恵み』に感謝し、これからも身体をいたわりつなお精進をしていこうと思う。

これまでたくさんの文化遺産に触れ先人の方々遺徳に又それらを大切に守られて今に引き継がれた方々にもこの上なく感謝したい。
「本当にありがとうございました!!!」




2015年8月30日日曜日

奈良・平城京中心部から平城京一周廻り  № 3

 『奈良・平城京』 西大寺 秋篠寺 天皇御陵廻り 法華寺   H. 27 8月 K.M 記

西ノ京北部の「西大寺」をまず訪ね、北の「秋篠寺」へ足を運ぶ。東に向かい「天皇・皇后陵」を廻り大極殿北を通過し「法華寺」「不退寺」そして「多聞城」「轉害門奈良公園までを歩く。


東門より入場。

四月第二日曜日の「大茶盛」は有名だ。                         口径40cm大茶碗で大勢の人々と楽しむ行事

真言宗総本山「西大寺」は765年「称徳天皇」の勅願により創建。
本堂内陣には「釈迦如来立像」が安置されている。

すぐ横の愛染堂には秘仏
「愛染明王」が厨子の中に
安置される。
憤怒の朱赤の形は怒っているのではなく、深い愛情の現れである。

境内の大きな松の木には毎年4月に「この葉ずく」が来て子育てをする。

  
北へ歩き、「秋篠寺」に着く。
いつ訪れても見事な「苔」の庭園が広がりホッとする空間だ。

一息つける休憩所から見える本堂には本尊「薬師如来」が又人気の高い「伎芸天」を安置。技芸天は顔立ちが柔和で優雅な姿。
   
左は「神功天皇」御陵 

右は「垂仁天皇・皇后・日葉酢媛命」の御陵。

そして、「成務天皇」「称徳天皇」などの御陵が狭い範囲に続く。

そして漸く「大極殿」の北、佐紀路に。
そこには「隆光大僧正」のお墓がある。
大極殿を望めば遠く「朱雀門」が見通せる。

佐紀路には初めて見るが馴染みの名前の神社が色々ある。

  
左図ようにこちらにもたくさんの御陵があり、中でも「嫉妬心」が強いと評判だった「磐之媛命」の御陵が一段と立派だ。

「宇和奈辺」「小奈辺」陵墓を過ぎ航空自衛隊幹部学校も過ぎ。

「海龍王寺」に辿り着く。 長い歴史を刻んだ築地塀と山門に何か痛ましさを感じる。「光明皇后」が建立される。

「西金堂」は奈良時代の建築で中に国宝
「五重小塔」が置かれている。

海外に出かける時には今も参拝する人が絶えないとか。


「総国分尼寺」「法華寺」に到着。
 
不比等の邸宅を娘「光明皇后」が寄進して建立したためか貴族的な優雅さが感じられる。
当時は大伽藍だったが、衰退。  
現代の本堂、鐘楼、南門は、かの「淀君」が寄進したもの。

国宝「十一面観音菩薩像「光明皇后」のお姿を模して刻んだ伝承を持ち、木肌の美しさを生かした素地仕上げとなっている。
 
光明皇后は庶民のために福祉を施され施薬院やから風呂などを造られた。

ぬば玉の黒髪をおろし仏弟子となった笛の像があり、滝口入道との恋文を溶かしての自画像。悲恋物語を思い出す


最後の「不退寺」に辿り着く。

「仁明天皇」の勅願により「在原業平朝臣」の建立になる。
不退寺は「不退転法輪寺」と号し、略して不退寺と呼ぶ。

「平城天皇」御譲位の後、阿保親王」、「在原業平」と続く。

東、東へとひたすら歩き、平城京主役「聖武天皇」の御陵に着く。

さすがに立派だ。すぐ近くには
「光明皇后」の御陵もあった。

いよいよ最終目的地「多聞城」

目指して東へ進む。
この橋を渡ればすぐだ。

行く手前は中学校? 何処だ?

生徒に聞けば、この中にあると。

前にはきつくて長い階段が続く。


そう、この階段の横に「立看板」が「多聞城跡」と書いてある。

戦国武将「松永弾正久秀」が築いた、かの「信長」でさえ羨ましがった城跡だ。(跡形もなし)

この地は京街道、奈良坂に近く
奈良の街をも見下ろせる高台に位置し、絶好の場所なのだ。
そして、さらに東へ足を運び、「轉害門」に。そして南に暫く歩くと奈良公園に到着した。奈良公園では今日も大勢の観光客が行きかっている。やはり鹿と遊ぶ姿が微笑ましい
今日は、真夏の炎天下、とても暑く汗びっしょり、少々きつかった。無事完歩である。
   

2015年8月26日水曜日

奈良・平城京中心部から平城京一周巡り   №  2

       『奈良・平城京』 興福寺 奈良まち 元興寺   H. 27  8月  K.M  記
藤原鎌足の病気平癒祈願のため「山階寺」を建て、飛鳥「厩坂寺」に移転。平城遷都に際し、現在の左京三条七坊藤原不比等が伽藍を備えて「興福寺」と寺名を改めた。



高畑駐車場より、まず「浮見堂」へ足を運びとても音色のいい「洞水門」に寄る。(水琴窟)

右手に「飛び火野」を見、「興福寺・宝物館へ。
特筆すべきは「薬師如来仏頭」と「八部衆立像」だ。

取り分け、「阿修羅像」は小顔で少年の如く若々しく正面の顔は眉をひそめ目的に向かう意思を感じる。

白鳳時代の傑作と言われる「薬師如来仏頭」は興福寺僧兵が飛鳥の「山田寺」から奪ったもので、室町時代に落雷で焼け頭部だけが現存している「猿沢池」に優雅な姿を映す「五重塔」「古の都・奈良」の象徴であり、「東金堂」は繊細優美な印象を受ける。興福寺が「貴族仏教」を背景にしているからだ。

「北円堂」は彌勒仏坐像・四天王像」を安置し、お堂と共に国宝である。

「南円堂参拝客が多く、庶民的。   
堂内には木造不空羂索観音坐像・木造四天王立像」を安置しいずれも国宝である。

「猿沢池」を巡り、「奈良まち」散策。
綺麗な、かわいい物、お店がいっぱい。

「からくり・おもちゃ館」では、小僧の鐘突き、ロープの引っ張りっこ、智恵の輪、ヒモ、等様々な遊び道具などがあり、大人も子供も大賑わいだ。
しかし、奈良まちという行政上の地名は     ない。
奈良まちらしい家並は、庚申堂、ならまち格子の家の周辺。

さらに、小道具や看板、ありとあらゆる物を展示する館もあり、全て見学無料である。       

「海山里」の珍味各七種類・七色

の各種材料が使用された七枚の大皿に盛り上げられ、庚申さんに参拝された善男善女を接待

1m70cmの大皿には約100人前の料理が盛り揚げられる。
この館のみに30枚の大皿保存

最終目的地「元興寺」に到着。


「元興寺」は現在の奈良まちほぼ全域を含む広大な寺域を有し、「南都七大寺」に数えられて隆盛を極めたが、平安後期から次第に衰退。今に残る「極楽坊」は鎌倉時代に僧房を改築したもの。

「本堂・講堂」の丸瓦は日本最古の瓦で珍しい行基葺きで有名。

国宝の五重小塔や仏像を収蔵庫に保存展示している。

庶民の信仰も集め、多数の石仏がならんでいる。

今日の散策は非常に盛りだくさんで、古い中にも目新しいもの、がいっぱい。先人の知恵と徳そして新旧の共存と伝統を守りつづける大切さ等たくさん学んだ。

智恵も授かり、楽しく遊ぶ術も学べ『温故知新』を悟ったような気分。感謝感謝である