2015年6月30日火曜日

『山の辺の道』を行く  大和盆地周辺ぐるり巡り 後半

『山の辺の道』 №ー2
H.27.6月20日
前回の環濠集落から天理そして最終奈良までを行く。 4,5.6月と大和盆地周辺の文化遺産を
順にたくさん巡り訪れた。我が郷土の風土を肌で感じ、そして何故か?心が洗われた思いもした遠方、諸外国からの観光客も大勢見かけた。「観光」とは一説に光をみる事。即ち、「御仏の光を求めあっちこっち巡る事」なのだそうである。私も山の辺の道最終地に向け、「光」を求め歩き続けた。

「竹之内環濠集落」
中世、大和では長く乱世が続き人々は自らの暮らしを守るため、村の周囲に濠をめぐらせて外敵を防いだ。 村中に入り込んだ私は抜け出せなくなり、後ろの池の堤の柵を乗り越えて、脱失。
田んぼ道を歩き「夜都伎神社」へ

夜都伎神社はあいにく拝殿屋根の葺き替えで拝観できず。

次の内山永久寺へ向かう。
登り坂は汗ばむが木陰は風もありさわやかな気分で足取り軽く、
周囲は色んな果樹園がいっぱいで興味深々。
道はよく整備され、道標、万葉歌碑も随所にあり、足も心も弾む。

やがて「内山永久寺」跡に到着。

かつては「関西の日光」と呼ばれ五町四方の寺域と五十余の堂塔を有する大寺院でしたが、今は本堂池だけがその面影を残すのみだ。

「後醍醐天皇」や「芭蕉」も訪れ、碑が建つ。
なんと言っても「桜」の頃がいい。隠れ名所だ。
(google+の私の4月を参照ください。)



国道を潜「石上神宮」の境内へ。

境内に入るや、神鶏のけたたましい鳴き声が響き渡ってくる。
参道に着くやたくさんの神鶏が。

「石上神宮」は龍王山の西麓、「布留山」(266m)の北西麓の高 
台に鎮座し、武門の棟梁たる「物部氏」の総氏神として古代信仰の中でも異彩を放つ。
国宝「七支刀」(ななつさや)は369年頃、百済王より倭王に献じられたと伝わる。

「御神体」は布都御魂剣」に宿る神霊『布都御魂大神』(ふつのみたまおおかみ)を主祭神とする。
(神武東征の折、天皇が熊野で危機に陥った際、高倉下を通して高天原から天皇の元に降ろされたと記される。)

『影姫伝説』 布留の「高橋」へ。
高橋から見下ろすと左右の川に小さい滝が見える。
布留の高橋を後に白川ダムに向け、ひたすら歩く。さほど暑くない。 途中、木陰で一服。
高校の農場を過ぎ、山中へ。
山中にも古墳あり、石室を覗く。

名阪自動車道を超え、どんどん歩く。 やがて大きなダム湖に。
ここで昼食とし、一緒になったサイクリングの方としばし語り合う。
一日に100km走れるとか。

右遠く、小さく「龍王山」を望める。 ダムでは「ヘラ鮒」の太公望がたくさん。
再度「弘仁寺」目指して歩く。
この辺りはやたらと「牛がえる」が鳴く。やがて参道に差し掛かる。

「弘仁寺」は虚空菩薩がご本尊で山奥の寺そのもの。静かな佇いの立派なお寺だ。       村人が何人も何かとお世話なさっている。
ゆっくり拝観させて頂く。
そして最後の「円照寺」へ下る。

途中の分岐には時計台がある。右「正暦寺」。
左、「円照寺」である。

途中に「御魂神社」があり、お参りする。
(災いが多発した時、その御魂を鎮める)

要所要所に「万葉歌」碑が建つ。

PM.4:10 ようやく円照寺入り口に到着。
広い参道も綺麗に掃き清められ
静寂そのものだ。
山門までたどり着き、中に入ったが、なんと、工事中のため拝観できず。非常に残念無念ではあるが仕方がない。
ここより、拝礼し手を合わせる
なんとも清々しい気持ちだ。

「山の辺の道」は終了とする。
二日間の行程で、とてもたくさんの文化遺産を巡る事ができ、優しくおもてなしもして頂き、先人は勿論、万人の方々にも深く感謝したい。そんな素直な気持ちになれたのは「誰」のお蔭であろうか先人の方々の、そしてお互いに思いやりの気持ちが感じられたからだろう。ある方の「お言葉」に「思いやり」を漢字では「仁」と書き、「人が二人」と書くとか。相手の立場にたって、所作行動する事こそ大切な事であり、日本人の精神なのだそうです。 世界遺産があり、世界中から観光客が訪れる大和の地より世界平和の一助になる道がありそうです。




           
  
              



2015年6月26日金曜日




『山の辺の道』を行く  №ー1
H27.6月13日
日本最古の道、飛鳥(藤原京)から奈良に向かい約2Kmの等間隔で南北に伸びる、上ツ道、中ツ道、下ツ道。そして山の辺の道を加え大和の古道と呼ばれている。歴史を伝える文化遺産が今も息づき又守られてきた。二千年もの時の流れに磨かれたこの地にしかない風景と文化はなお未来へと続いていく道だ。 この地を訪れた人は言う。「初めて歩くのにどこか懐かしい。」 「何度も歩いているのに新しい発見がある。」 と。
はるか遠い隋や唐、百済などへ
の出発地であり、帰りは難波から
大和川、初瀬川と遡りこの港に上陸し第一歩を刻む。

仏教伝来の最初の地となる。又
人々、物資、情報の交流地となり市が栄える。

これより大神神社に向け歩く。


暫く進むと「金屋の石仏」に着く。
                  
つばい観音、平等寺を経て、やがて、大神神社境内に入る。
   拝殿にお参り。             右の白へび棲家を覗く。


ささゆりの栽培地を見学。
6月17日奈良の率川(いさがわ)神社ササユリ祭催される。
この大神神社で栽培された約700本のササユリが奉納される。

境内を散策しつつ檜原神社へ。
狭井川横の月山刀芸館を見学。

ここでは、砂鉄や鉱石から『火』『水』を使い徐々に約1年かけて刀に仕上げていく過程がよく分かる火と水と鍛錬の芸術」だ。

いかにも山の辺の道らしい小道を歩き檜原神社へ。

「元伊勢」とよばれる由縁の説明看板を読み、参拝。
伊勢神宮に天照大神が祀られる以前はこの地がそうであった。
「やまと姫」(日本武尊の伯母)がこの地より、良き地を探し周り、伊勢の五十鈴川に来た時に「ここにいようと思う」と天照大神が仰せになったとか。
                           
檜原神社前の道を西へ進み池の向こう中央の箸墓古墳へ向かう。
随分大きな濠、古墳だ。1週した。
大物主の妻で「倭とと日百襲姫命」(やまとととひももそひめのみこと)のご陵だ。
一説に「卑弥呼」の墓説もあり。

箸墓古墳は上ツ道付近にあり、山野辺の道に再度戻り、「相撲、国伎発祥地」へと向かう。

山の辺の道には、道標もよく整備され、各所に「万葉歌」も刻まれている。

右は、額田王の歌が大石に。

田舎道を軽快な足取りであっちこっち見渡しながら、野辺の草花を愛でながら。

やがて、巨大濠に囲まれた古墳に着く。
左は「景行天皇御陵」

暑くて歩き疲れたので卑弥呼庵で一休みする。
冷た~い コーヒーを頂く。
なんと、ご主人が趣味で仲間と作った見事な「炭」が色々飾られている。
ドリアン、カボチャ、バナナ、栗、
ひょうたん、竹、等。

再度、足取り軽く「崇神天皇御陵」へ。 とてつもなくすごく大きな濠(三段に)に囲れ、立派だ。この御陵も一回りした。

これより、北西の「黒塚古墳」へ

H9,10年2か年かけて発掘調査が行われ、後円部で長大な竪穴式石室が現れ、33面の三角縁神獣鏡(直径22cm,1kg)他たくさんの副葬品も発掘された。
じっくり見学したいが・・・。
「長岳寺」へ急ぐ。
                                     
日本最古の「鐘楼門」であり、弘法大師創建当初の唯一の美しい建物である。花の寺でも有名。

ご本尊の阿弥陀如来は西方のかなた十万億土に極楽世界を開き、末法の世に生まれた私達をお救い下さる仏さまである。
              
「萱生(かよう)環濠集落を経、大和神社御旅所へ。

『大和神社』に到着だ。

あの「戦艦大和」が守護神として御分霊を祀っていた。

897年12月には神階における頂点の正一位になる。

今日はAM8時に桜井を出発し様々な名所旧跡を巡り歩いたがPM5時20分を持って時間切れとなり最寄の長柄駅に向かう。よく歩き、よく遊べて幸せな一日を過ごせた。                     今日も感 謝!!