2014年5月11日日曜日

忠義の人、片岡八郎(利一)公を偲び

里に遊ぶ  № 10
『黒木御所と花折塚』
H,26.5月11日  記 K.M
9日夜尾鷲に走る。いつもの磯にAM.2時半到着、竿を出す。大鯖、イサキ、グレ各2匹、たいした釣果ではないが8時半に納竿。崖を山を登り、下り9時半に港に帰着。十津川に向け10時出発。
途中、七色ダム、奥瀞(筏下り、ジャバラで有名)を抜け花折塚に12時過ぎに到着。
←瀞峡といかだ     花折塚入り口⇒ 
持参の花、線香、ロウソク、サクランボ、
実家の水をお供えし、手を合わせる。
地元の方がいつも雑草を刈り、綺麗に保っていて下さりありがたく感謝である。

この地は、片岡八郎公が護良(もりなが)親王をお守りするため戦死した所だ。  
 
後年、この墓前を通る人々が、八郎公忠義な心を偲、山中の花を手折って備えたので折華塚、後に花折塚と呼ばれた。
右の石楠花の大木が倒れ、根っこが完全に浮き上がっていた。支えにした木を挟みこんでいる。奇跡の枝だ。支えの木が抜けそうで、死ぬと思い抱きついた。
今ではピンクの花を見事に咲か
せるほどになった。
後、一週間ほどで満開になりそうだ。

一時間余りの滞在で別れを告げた。

次に、ホン石楠花満開の玉置神社へ。

杉の大木が林立し、樹齢3000年以上も。

  
          
           去年、日没後となり、
断念し、再度の訪れ

となる黒木御所へ走る。

谷瀬の吊り橋

全長297m高さ
54m日本一長い。強い横風を受け、怖いながらも渡りきらねば目的地に辿りつけない。

この地は、護良親王が赤坂城から高野山、由良、切目、 十津川へと、9人の共と逃れられた時に立ち寄られた所である。郷の戸野兵衛、竹原八郎入道らの力でここを黒木御所とされた。

今まで南朝縁の地をシリーズで訪れたのは、10年前に亡くなった父に、今後も「花折塚にお参りする」との約束だから。

片岡八郎公は片岡の里(王寺町)の人で私の祖先はそのゆかりの端の端だったようである。
今なお、片岡会として活動しておられる由。

これで、私の南朝シリーズは一段落とし、今後は特別にこだわらない事としたい。しかし、何度も訪れたい地はある。その時はその時とし、今後も里、山を中心に見聞を広めたいと考えている。