2015年8月18日火曜日

奈良・平城京中心部から平城京一周巡り  № 1

      『奈良・平城京』 東大寺周辺、依水園、春日大社      H.27 8月K.M 記
飛鳥京より山の辺の道を歩きよいよ奈良・平城京に辿りついた。今回は平城京中心部を巡る。

和銅3年、710年3月10日元明天皇の時、平城京に遷都された。

まず、現代の迎賓館、「羅城門」そして「朱雀門」さらに「大極殿」に連なる。

羅城門は都の入り口、九条に壮大な迎賓館、現在はその「碑」が建ち発掘調査が行われている。 右図の中央下〇印の部分にあたる。

現、佐保川をまたぐように造営された。

 左が「朱雀門
       右が「大極殿」
朱雀門から大極殿までの距離は気が遠くなるほど遠い。
たくさんの建物が並んでいたに違いない。

その後聖武天皇になり国家の平穏を願い、国分寺総本山として「東大寺・大仏」が建造された。
南大門には「大華厳宗」の扁額が掲げられ人心を集めた。

この頃疫病がはやり、光明皇后は「法華寺」や施薬院など福祉にも力を注がれた。又、この頃には「鑑真和上」苦難を
排して来日を果たされた。

大仏さまは現代でもたくさんの人々に愛
され、海外からも大勢の観光客が訪れる。
大仏さまの鼻の穴の大きさの柱くぐりは今も子供達だけでなく大人にも大人気だ

続いて右上に登り立派な「鐘楼」へ。
この釣鐘は今までに地震などで4度も下に落ちたので、補強のためにワイヤーでも吊り上げている。

さらに上に登り「二月堂」へ足を運ぶ。
3月の「修二会」お水取りはあまりにも有名だ。 8m(普段は6m)の大松明
圧巻、火の粉が一面に飛び散る。

最後に「若狭の井」よりお香水を汲みあげる。              (右⇒⇒)

第一回目のお水取りは「笠置正月堂」
行われ、二回目よりここ「二月堂」で執り行われ、現代まで途切れた事はない。

東大寺を後にし「氷室神社」へ向かう。


氷室神社では夏らしく「白雪祭」が行われており、私も一つ奉納し後程、それを頂く。

氷室神社は芸の神様でもあり、元林院の芸子「菊乃」さんが舞奉納。花街の灯りを灯し続ける。

舞はH19年春、神社前のしだれが見事に咲きだした頃だった。

そして奈良の名庭園「依水園

依水園は江戸時代作の前園と明治時代作の後園の二つからなる庭園でS.50年国の文化財として名勝に指定。  前園は若草、御蓋、高円山を一望した三秀亭前の池庭で風情あり

後園氷心亭前からの東大寺南大門と春日山を借景したスケールの大きな眺めが圧巻だ。

右側は柳生家全盛期の芳徳寺から移築。左の茅葺きの建物は「氷心亭」。

園内を流れる小川にはシジミがたくさん見える。

依水園を出て、
戒壇院へ向かう。


途中、奈良を愛し、奈良の全てを撮り続けた入江泰吉先生の旧居があり、講習を今もなさってる。

「戒壇院」754年聖武上皇は光明皇太后らと共に唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年正式な受戒の場とし戒壇院を建立。国宝「四天王立像」を安置。


そして京街道に面す「轉害門」

もと平城京左京一条大路に西面して建立され、佐保路門とも呼ばれた。中世の修理を受けているが、東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構で雄大な姿は創建当時を思わせる。

三間一戸八脚門、切妻造本瓦葺である


そして奈良公園へと戻る。

奈良公園では神鹿として誰からも愛され可愛がられるたくさんの鹿が遊んでいる。最近では交通事故にあってしまう鹿やまれには乱暴者にいじめられたりもするらしい。右の写真のように優しくせんべいを上げて貰えれば鹿も見ている皆も倖せな気持ちになる。 私も買ってこよう!!
   綺麗でかわいいお嬢さんありがとう!!!
      




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