西ノ京北部の「西大寺」をまず訪ね、北の「秋篠寺」へ足を運ぶ。東に向かい「天皇・皇后陵」を廻り大極殿北を通過し「法華寺」「不退寺」そして「多聞城」「轉害門」奈良公園までを歩く。
東門より入場。

真言宗総本山「西大寺」は765年「称徳天皇」の勅願により創建。
本堂内陣には「釈迦如来立像」が安置されている。
すぐ横の愛染堂には秘仏
「愛染明王」が厨子の中に
安置される。
憤怒の朱赤の形は怒っているのではなく、深い愛情の現れである。
北へ歩き、「秋篠寺」に着く。
いつ訪れても見事な「苔」の庭園が広がりホッとする空間だ。
一息つける休憩所から見える本堂には本尊「薬師如来」が又人気の高い「伎芸天」を安置。技芸天は顔立ちが柔和で優雅な姿。
左は「神功天皇」御陵
右は「垂仁天皇・皇后・日葉酢媛命」の御陵。
そして、「成務天皇」「称徳天皇」などの御陵が狭い範囲に続く。
そこには「隆光大僧正」のお墓がある。
大極殿を望めば遠く「朱雀門」が見通せる。
佐紀路には初めて見るが馴染みの名前の神社が色々ある。
左図ようにこちらにもたくさんの御陵があり、中でも「嫉妬心」が強いと評判だった「磐之媛命」の御陵が一段と立派だ。
「宇和奈辺」「小奈辺」陵墓を過ぎ航空自衛隊幹部学校も過ぎ。
「西金堂」は奈良時代の建築で中に国宝
「五重小塔」が置かれている。
海外に出かける時には今も参拝する人が絶えないとか。
「総国分尼寺」「法華寺」に到着。
不比等の邸宅を娘「光明皇后」が寄進して建立したためか貴族的な優雅さが感じられる。
当時は大伽藍だったが、衰退。
現代の本堂、鐘楼、南門は、かの「淀君」が寄進したもの。
光明皇后は庶民のために福祉を施され施薬院やから風呂などを造られた。
ぬば玉の黒髪をおろし仏弟子となった横笛の像があり、滝口入道との恋文を溶かしての自画像。悲恋物語を思い出す。
最後の「不退寺」に辿り着く。
「仁明天皇」の勅願により「在原業平朝臣」の建立になる。
不退寺は「不退転法輪寺」と号し、略して不退寺と呼ぶ。
東、東へとひたすら歩き、平城京主役「聖武天皇」の御陵に着く。
さすがに立派だ。すぐ近くには
「光明皇后」の御陵もあった。
目指して東へ進む。
この橋を渡ればすぐだ。
行く手前は中学校? 何処だ?
生徒に聞けば、この中にあると。
前にはきつくて長い階段が続く。
そう、この階段の横に「立看板」が「多聞城跡」と書いてある。
戦国武将「松永弾正久秀」が築いた、かの「信長」でさえ羨ましがった城跡だ。(跡形もなし)
この地は京街道、奈良坂に近く、
奈良の街をも見下ろせる高台に位置し、絶好の場所なのだ。
そして、さらに東へ足を運び、「轉害門」に。そして南に暫く歩くと奈良公園に到着した。奈良公園では今日も大勢の観光客が行きかっている。やはり鹿と遊ぶ姿が微笑ましい。
今日は、真夏の炎天下、とても暑く汗びっしょり、少々きつかった。無事完歩である。