『飛鳥路』を二日にわたって歩く。 H27. 5月9日~10日
飛鳥時代と呼ぶのは、推古天皇(我が国初の女帝)が豊浦宮で即位された崇峻5年(592年)から平城京に遷都(710年)するまでの100年余の時代である。7世紀の飛鳥は日本の政治、文化の中心であったが、1400年の歳月を経て田園風景となった。飛鳥の地中には「日本書紀」の舞台となった数々の遺跡が眠っている。 かの井上靖氏は「飛鳥は春は春で明るく、秋は秋で明るい。飛鳥の地、独特の明るさである。どこか底の方にひんやりとした翳り(かげり)が隠されている明るさである。飛鳥を歩むということは歴史の中を歩むことである。」 と。3番目の入館だ。
この地一帯は桧隅(ひのくま)と呼ばれ渡来人が多く居住した。
昭和47年3月から発掘調査が行われ「彩色壁画」発見となる。
「鬼のせっちん・まないた」へ。
途中道を違えたが、「すいか」作りの爺さんに教わり、暫し話し込む。 この大岩は元は石棺のセットだったのが、片方下に転げ落ちたそうな。
「天武・持統天皇陵」へ急ぐ。
小高い所にあり、長い坂道、階段を上る。 立派な御陵である。
元の駐車場に戻り、車を移動。
「亀石」へ歩くが、日射がきつい。
亀石の前に水路、横にはお店。
私が中学の頃は亀の上に乗り遊んだものだ。
どんどん歩き「川原寺跡」へ
何にもないが広い石畳や草原が、向こうに基壇が見える。
天武天皇の勅願時として飛鳥寺や大官大寺とともに飛鳥三大寺の一つであったそうな。
南に向き緩やかに登ると「橘寺」
「聖徳太子」誕生の地である。 幼名は厩戸(うまやど)皇子」だ。
愛馬は「黒駒」、愛犬は「雪丸」 王寺町のユルキャラで皆に可愛がられている。
垂仁天皇の勅命を受け、「田道間守」は「不老不死の妙薬」を求めて、トコヨの国へ、10年の艱難苦の末この秘薬を持ち帰ったが、天皇存命中に非ず、後を追う。忠義を思い天皇御陵の池の小島に埋葬される。西ノ京北の尼ヶ辻にある。
これが今回の目的『犬養万葉記念館』だ。
喫茶室(軽食OK)や先生解説の万葉の旅のビデヲを私も懐かしく、特にあの独特の「犬養節」、聞けて感激でした。
お昼時だったので大きな揚げのうどんを頂いた。
山清水万葉歌碑 「山吹の 立ちよそいたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく」 (巻2-158)高市の皇子
紅の赤裳万葉歌(高松塚前の小丘)
「立ちて思ひ 居てもそ念ふ くれなゐの 赤裳裾引き 去にし姿を」
(立っては思い座っても思う、紅の赤裳の裾を引いて去っていったあの人の姿を)
この記念館にはたくさんの万葉資料や本が所狭しと本棚に並び、万葉時代の和紙を染め、巧みに上手に作ったお人形も並ぶ。今回は二階まで上がっての見学の時間が無く、残念ながら次の機会にしたい。
今日はまだまだ続くが紙面が続かないので、№ 2 で紹介したいと思います。
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