2015年5月15日金曜日

『飛鳥路を歩く』  №, 2

 『飛鳥路』を二日にわたって歩く                    H.27年5月9日~10日
神武天皇は天照大神の子孫で、九州の日向を発ち、難波、熊野、吉野を経て、紀元前660年、大和の橿原宮で即位し最初の天皇になったと伝承されている。 大和三山の妻争いの歌より。「香久山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」 (万葉集巻1) この歌は、この作者が、中大兄皇子(天智天皇)で弟の大海人皇子(後の天武天皇)と額田王をめぐって争ったことをふまえて詠んだと伝えられている。大和三山の関係に重ねており、又、この三山の丁度真ん中に飛鳥最後の「藤原宮」が造営された。

     犬養万葉記念館を出、       「伝板葺の宮跡」に向かう。大化の改新の舞台となった地だ。

この頃、政治の実権を握った
蘇我入鹿「山背大兄皇子」を暗殺、さらに恩師「南淵請安」をも処刑。民衆を忘れた入鹿の国つくりを止めるため中大兄皇子と中臣鎌足は相談しこの宮で首を
はねた。その首が鎌足を追っかけた。逃げて談山神社の麓まで。 追ってもうこぬだろうと腰かけた石が残る。あまりの怖さに霊を収める為「首塚」を祀った。

万葉歌 『采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたずらに吹く』 石碑を横目に 、次へ。

「酒船石遺跡」にやってきた。
斎明天皇の「両槻(ふたつき)宮」では、と推定される。
亀形・小判形二つの石造物が発見され、導水施設を造りだしている。と、女性ボランテイアが。
しばらく歩くと着いた。「飛鳥寺」

605年、推古天皇が聖徳太子や蘇我馬子及び各皇子と誓いを立てて発願し、609年、止利仏師によって造られた日本最古の仏像「飛鳥大仏」が鎮座。
ご本尊「釈迦如来坐像」である。
高さ、3m。重さ15トン。
右手は「与願」左手は施無畏」を
現されている。
創建当時は中金堂」「塔」「中門」「南門」が一直線に並ぶ、「一塔三金堂形式」の伽藍を形成し、寺域は東西200m、南北300mに達する大寺院であった。
右の看板はご住職のお言葉。⇒

しばし寺社内の中庭や宝物を見学し、やがて外に出、鐘楼の釣鐘を一突きして西門より出る。

飛鳥川を少し下り、「雷丘」へ。
ごく小さな小山だ。が登る道が見つからず、一回りする。仕方なく畑の上の急斜面をよじ登る。頂上は風が強い。小さな草原で桜が植樹される。(左下の写真)


豊浦へ急ぐ。
この地に向原寺があり、推古天皇の「小墾田(こはりだ)宮」「豊浦宮」のあった所、伝。

こちらの「百済伝来の仏像」を本田善光が池に捨てられたので持ち帰り「善光寺」を建立して安置
した逸話もある。

そして「甘樫
丘」に登る。

汗ばむほどだか、風が心地よい。
上より飛鳥寺を望む。 右⇒

眼前に見える「大和三山」「額田王」との関係は現代にもある事だ。

今日の散策予定はこれで終了となる。この後は「甘樫丘」の尾根をに南に進み下り、車の所へ。 今日も愉快な方(酒船石遺跡の案内美人のお姉さん??)。すいか作りや甘樫丘の元気な爺さんなど、いい人に出会えた。行動すれば何かに出くわし、人情もお互いに湧いてくる。いつまでも新鮮な気持ちを持ち続けるることもできる。
これからも野に山に海にも歩ける内はでかけよう!!

 

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