『山の辺の道』 №ー2
H.27.6月20日
前回の環濠集落から天理そして最終奈良までを行く。 4,5.6月と大和盆地周辺の文化遺産を順にたくさん巡り訪れた。我が郷土の風土を肌で感じ、そして何故か?心が洗われた思いもした。遠方、諸外国からの観光客も大勢見かけた。「観光」とは一説に光をみる事。即ち、「御仏の光を求めあっちこっち巡る事」なのだそうである。私も山の辺の道最終地に向け、「光」を求め歩き続けた。
中世、大和では長く乱世が続き人々は自らの暮らしを守るため、村の周囲に濠をめぐらせて外敵を防いだ。 村中に入り込んだ私は抜け出せなくなり、後ろの池の堤の柵を乗り越えて、脱失。
田んぼ道を歩き「夜都伎神社」へ
夜都伎神社はあいにく拝殿屋根の葺き替えで拝観できず。
次の内山永久寺へ向かう。
登り坂は汗ばむが木陰は風もありさわやかな気分で足取り軽く、
周囲は色んな果樹園がいっぱいで興味深々。
やがて「内山永久寺」跡に到着。
かつては「関西の日光」と呼ばれ五町四方の寺域と五十余の堂塔を有する大寺院でしたが、今は本堂池だけがその面影を残すのみだ。
「後醍醐天皇」や「芭蕉」も訪れ、碑が建つ。
なんと言っても「桜」の頃がいい。隠れ名所だ。
(google+の私の4月を参照ください。)
国道を潜「石上神宮」の境内へ。
境内に入るや、神鶏のけたたましい鳴き声が響き渡ってくる。
参道に着くやたくさんの神鶏が。
「石上神宮」は龍王山の西麓、「布留山」(266m)の北西麓の高
国宝「七支刀」(ななつさや)は369年頃、百済王より倭王に献じられたと伝わる。
(神武東征の折、天皇が熊野で危機に陥った際、高倉下を通して高天原から天皇の元に降ろされたと記される。)
『影姫伝説』 布留の「高橋」へ。
高橋から見下ろすと左右の川に小さい滝が見える。
高校の農場を過ぎ、山中へ。
山中にも古墳あり、石室を覗く。
名阪自動車道を超え、どんどん歩く。 やがて大きなダム湖に。
一日に100km走れるとか。
右遠く、小さく「龍王山」を望める。 ダムでは「ヘラ鮒」の太公望がたくさん。
再度「弘仁寺」目指して歩く。
「弘仁寺」は虚空菩薩がご本尊で山奥の寺そのもの。静かな佇いの立派なお寺だ。 村人が何人も何かとお世話なさっている。
ゆっくり拝観させて頂く。
途中の分岐には時計台がある。右「正暦寺」。
左、「円照寺」である。
途中に「御魂神社」があり、お参りする。
(災いが多発した時、その御魂を鎮める)
要所要所に「万葉歌」碑が建つ。
PM.4:10 ようやく円照寺入り口に到着。
静寂そのものだ。
山門までたどり着き、中に入ったが、なんと、工事中のため拝観できず。非常に残念無念ではあるが仕方がない。
ここより、拝礼し手を合わせる。
なんとも清々しい気持ちだ。
「山の辺の道」は終了とする。
二日間の行程で、とてもたくさんの文化遺産を巡る事ができ、優しくおもてなしもして頂き、先人は勿論、万人の方々にも深く感謝したい。そんな素直な気持ちになれたのは「誰」のお蔭であろうか?先人の方々の、そしてお互いに思いやりの気持ちが感じられたからだろう。ある方の「お言葉」に「思いやり」を漢字では「仁」と書き、「人が二人」と書くとか。相手の立場にたって、所作行動する事こそ大切な事であり、日本人の精神なのだそうです。 世界遺産があり、世界中から観光客が訪れる大和の地より世界平和の一助になる道がありそうです。