『金剛寺・朝拝式』
H26.2月5日 K.M
今日は、後南朝最後の指導者「自天皇」を偲ぶ『朝拝式』見学のため川上村神之谷 「金剛寺」へ車を走らせる。同行者はJWV関西のT.T氏だ。 8;50 関西線王寺駅を出発 10:10 金剛寺に到着 すぐに受付を済ませ、階上の式場へ。
つい先ほど始まったばかりだ。
1457年12月2日、大雪の深夜
赤松浪人30数名が二手に分かれ両宮を襲い、自天皇の首と神璽を持ち去る。それを郷士が奪い返えし
この地に手厚くほおむり、生前を偲んで種々の行事を行った。
忠義王、両ご兄弟への哀惜の念から、三之公御所で毎年2月5日執行されていた新年の拝賀の儀式の折、高御座での嬉しそうな笑顔が忘れられず、この儀式を郷士らが相談、再現との由。
各代表が麻裃に威儀を正し、口に榊(?)の葉をくわえ、玉串奉奠、拝賀。
続いて、『御陵参拝の儀』
御陵前で『しのび文奉誦』
我々も御代表の後に続きに参拝する。
その後、記念撮影、『当拝殿の儀』
『由来記奉読』・「南帝自天親王 川上郷御寶物由来」では詳しく歴史の説明あり(古語で)、理解が深まった。
今日の朝拝式を見学、参加させて頂き川上郷の方々が後南朝、自天皇、忠義王をどれだけ親しく、深く愛され続けられたか心底判った。 500年以上も毎年続けられている。
左の 欅の大木はこの長い歴史の生き証人であろう。
右下の写真は、川上郷士が赤松浪人と戦い、自天皇お首
と神璽を取り戻した場所である。(川上村寺尾)
『南朝、最後の古戦場』でもある。
今日は非常に有意義に過ごせ、良かった。
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